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唐津茶屋
唐津茶屋の由来
文禄元年、唐津松浦半島の名護屋の領主、波多三河守が太閤秀吉を供応するためにつくった「唐津御茶屋」に因んで名づけさせていただき、
唐津湾が一望できる眺めの良い旅館の最上階にプラスして新設いたしました。
茶屋は、元来は茶を点じて供する處のことですが、当茶屋は、江戸時代ににぎわった、今でいう、グルメのための料理茶屋と思し召しください。
博多の豪商、神屋宗湛(かみやそうたん・・当時外国との貿易で富を築き、秀吉にかわいがられていた商人)の日記によりますと、
名護屋における茶会の記録は四十九回もあったようでございます。
また、石田治部丞より山内橘内への書状の中に、 「唐津茶屋」での秀吉の食事が書かれておりました。料理の品数は、
御うへさま御膳(太閤秀吉様の料理)
本(膳の料理が)、 五つ(品)、
二(の膳の料理が)、二つ(品)、
三(の膳の料理が)、二つ(品)、
御汁(の料理が)、 三つ(品)。
となっています。
きっと、豪華なおご馳走だったと思われます。
それでは、「唐津茶屋」へおこし頂く日を楽しみにいたしております。
唐津湾が一望できる眺めの良い旅館の最上階にプラスして新設いたしました。
茶屋は、元来は茶を点じて供する處のことですが、当茶屋は、江戸時代ににぎわった、今でいう、グルメのための料理茶屋と思し召しください。
博多の豪商、神屋宗湛(かみやそうたん・・当時外国との貿易で富を築き、秀吉にかわいがられていた商人)の日記によりますと、
名護屋における茶会の記録は四十九回もあったようでございます。
また、石田治部丞より山内橘内への書状の中に、 「唐津茶屋」での秀吉の食事が書かれておりました。料理の品数は、
御うへさま御膳(太閤秀吉様の料理)
本(膳の料理が)、 五つ(品)、
二(の膳の料理が)、二つ(品)、
三(の膳の料理が)、二つ(品)、
御汁(の料理が)、 三つ(品)。
となっています。
きっと、豪華なおご馳走だったと思われます。
それでは、「唐津茶屋」へおこし頂く日を楽しみにいたしております。