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木曽の棧

木曽の棧
- 木曽の棧(かけはし)は、古くは「木曽の棧、太田の渡し、碓氷峠がなけりゃよい」と言われたように、中山道の三大難所でした。
また、木曽八景の一つ「棧の朝霧」として数えられ、「木曽節」や長野県歌「信濃の国」の一節として広く知られています。
2016年には、「日本遺産」として文化庁に認定されました。
木曽の棧は対岸に向けて架けられた橋ではなく、絶壁に並行して横に架けられた桟道のことです。
当時は、丸木を柱として横に板を並べるという簡単な橋であったそうです。
しかし、1647年に通行人が松明を落とし焼け落ちてしまいました。
そこで、尾州藩の命により、長さ102m・幅6.7m・高さ13mの石垣を築いて、中央に14.5mの橋を架けました。
(後に、橋の部分も石垣となる。)
現在は、長野県の史跡に指定され、国道の下に石垣の一部が保存されており、その名残を残しています。
芭蕉の句碑

芭蕉の句碑
- また、松尾芭蕉の「棧やいのちをからむ蔦かづら」(更科紀行)に代表されるように、多くの文人によって歌が詠まれました。
現在宿のそばには、松尾芭蕉、正岡子規、種田山頭火の石碑が付近に建っています。